2013年11月29日金曜日

親から子へ





FUMOTO KIDS CLUBを長らく休んでしまっています。
楽しみにしてくださっている方には申し訳ありません。

10月末に父が亡くなり、11月もばたばたと過ぎてしまい、
12月こそは・・・と思っていますがもしかしたら再開は
年明けになってしまうかもしれません。

親といつかは別れなくてはならないことは覚悟していたつもりですが、
いざそのときを迎えたら、予想以上に心に大きな穴が空きました。

自分のルーツが消えてしまったような。

私の友人は「親がいなくなると、自分のこども時代が完全に幕を
閉じてしまう」と言っていましたが、まさにそんな感覚。

親に対して何もしてあげられなかったこと。
自分を生み、育ててくれたことに対する感謝を十分に伝えられなかったこと。

いろいろな悔いはあるけれど、「親と子」は永遠に「親と子」なのだなあ、と
いなくなってからも続く親の存在感の大きさに驚きました。

背負われながら眠りについたあたたかい父の背中。
私の決断をいつでも受け止めてくれた寛大な心。

もらった想いや優しさは、こどもに伝えていくしかありません。

命が受け継がれ、心も受け継がれていく、人間の縁。

そんな命の輪のなかに存在し、新しい家族をつくり、父の血を受け継ぐ
こどもたちを授かることが出来ただけで、幸せを感じます。

歳をとってから初めて感じる気持ちの多さ。
だから人生は最期までおもしろい。

2013年8月10日土曜日

長く愛すること





毎年味噌をつくるとき、大豆をつぶす大きなすり鉢にひびが入りました。

息子が遊んでいたときにひっかかって下に落ちてしまったのです。

石見の石州宮内窯の大物。
以前もお願いした金継ぎの職人さんに修理をお願いすることにしました。

割れたときは気に入っていた物だけにとてもショックだったけれど、
壊れても使い続けることが出来るという、日本に伝わる文化の
素晴らしさに改めて感動を覚えました。

息子にとってもいい体験になったと思います。
もしプラスチックに囲まれて育っていたら、何かが元通りにはならないことや
修理して大事に使い続けられることを目にすることはないでしょうから。

「継ぐ」。

素敵な言葉です。
ずっとずっと続いてほしい技。

陶器やガラス製品、わりとどんなものでも継いでもらえるので、
壊れたときにはお試しあれ。
長く使えば使うほど。
継いだ跡はその器の歴史。
たくさん愛してあげましょう。

2013年8月2日金曜日

ひろく世界をみる




20代までは若さ故なのか、誰かの質問に対して「絶対こうだ!」とか
「それはちがう!」という答えをぶつけることが出来ていた気がします。

でも30代になって、それが出来なくなった、というよりは断言したり
即答する事をなるべくしなくなったのは、知識を積み重ねることによって
今日の考えは明日変わり得ると思うようになったからかもしれません。
真実に対して用心深くなった、ということもあります。

ここ最近感じているのは、ひとつの問題に対して、ひとつの解答だけでは
足りないのではないか、ということ。もっといろんな解答を同時に準備
する必要があるんじゃないだろうか・・・

たとえば私の住む市町村では、家庭から出るごみの減量に
取り組んでいますが、家庭に対してごみ袋の有料化と個別収集を行うという
知らせがきました。
でも、同時にごみのもとになるものを供給している企業に働きかけなければ
大幅な減量は難しいのではないかと思います。

待機児童の削減についても同様で、待機児童数を減らすことばかり考えて、
母親や父親の労働環境については何も考えられていないのです。

麓から見える景色と、頂上から見える景色は全然違う。

多角的に考えること。
いろんな解答を受け入れること。
陰と陽、天と地、みたいな、両極にあるものについて同時に考えること。

それができたらもっと世界はよくなるのではないかと思います。
いつでもそういう視点で物事を見られる大人でありたいです。

2013年7月8日月曜日

Less is more for children




我が家にあるこどもたちの玩具はこれがほぼすべて。

ジャンベ、レゴ一箱、戦う玩具をいくつか、
ハーモニカやミニカーなどが入っているケースひとつ、
ミニピアノ。

多いでしょうか。少ないでしょうか。
4歳の息子と0歳の娘の玩具です。

玩具はなるべくお下がりをもらっています。
どうしても欲しがるときは、リサイクルショップで購入。

リサイクルショップへ行く前には、息子に
「新しいものを手に入れたいなら、
必要のないものを手放したら?」と言います。

すると息子は自分の玩具をすべて並べて考えはじめます。
「僕にとって本当に必要なものはどれだろうか?」

その様子はまるでパッキングをするクライマーさながら。
必要ないと判断された玩具はリサイクルショップに持って行き、
手に入れたお金で新しい玩具を買うのです。
それだけではお金が足りないときは、私たち両親も
家中歩いて必要のないものを探します。

息子は海や山のなかに玩具と同じくらい、ときにはそれ以上
楽しいものがたくさんあることを知っています。
そういう自然が、いつか玩具に本物の喜びを
感じられなくなったときの拠り所になってくれたら、と思います。
こどもの想像力/創造力は、ものを与えることによっても
培われるかもしれませんが、ものを減らすことによっても
培うことができるのではないでしょうか。

もので溢れている現代を生きるこどもたちにとって、
「自分に本当に必要なもの」を自分の力で見つけ出すことは
とても難しいと思います。
それは自分の求める生き方にも通じることです。

今はまだ、息子はいつでも「もっと何かが欲しい」と
感じています。

でもいつか成長して物欲を満たすだけでは心が満たされない
ことを知ったときに、必要なものだけを持つという習慣が、
自分を満たしてくれる何かを探すヒントになってくれることを
願っています。

2013年7月6日土曜日

あたりまえ





今日。とあるお店でお金を支払う時、クレジットカードを出しました。
するとお店の方が言いました。
「すみません、うちのお店は現金だけなんです。ご不便お掛けします。」

そのことがきっかけで、今の世の中の「便利」について頭を巡らせました。


最近のお店やなんかでよくきく言葉、
「便利」って。
「お得」って。
「安心」って・・・

ほんとうにいいことなの???

便利。
ネットで何かを注文すれば、すぐに届くこと。
コンビニが24時間営業していること。

お得。
お財布にポイントカードがたくさん入っていること。
たまったポイントでまた新しいものを買うこと。

安心。
生命保険に月々何万円も払うこと。
とりあえず名の知れているお店で買うこと。

それで本当にみんなが幸せになるの??

24時間営業のお店が多ければ多いほど、
その街に住む人には心と身体のゆとりがないんじゃないかしら。

不便だからこそ、人の縁で笑顔になれるときがある。
損得でははかれない価値がある。
見る前にとべ、の冒険精神が時に心を強くする。

すべてがそうではないし、備えなければならないこともあるけれど。

たった数十年であたりまえがこんなにも変わってしまった。
魚屋さんで「おう、これまけとくよ」っていうのが「お得」だったあの頃。
ジャック・ロンドン放浪記みたいな安心とはかけ離れた世界。

フェアトレード。オーガニック。
世界中で幸せと笑顔を増やすことが注目されている。

でもこのままじゃ私たちの国でも、
たとえ豊かになったとしても、
幸せと笑顔は減って、鬱病や自殺が増えてしまうんじゃないか・・・
そんな未来をこどもたちに見せたくないな、と思います。


もうすぐ、選挙。

長いものに巻かれず。
「自分」がどう生きたいか。
こどもたちにどんな未来を生きて欲しいか。

いまいちど、足下にあるあたりまえについて考えなくては。

2013年4月18日木曜日

たったひとつの・・・




いつもより自然の力が大きい場所で生活していると、
こどもの心身が解放されているのがわかります。

この二週間、鹿児島に滞在していますが息子は本当に
生き生きとして、体の疲れはあっても表情に曇りは
まったくありませんでした。
(↑写真は鹿児島の山ではありませんが・・・)

人工化した私たちの生活の中で唯一自然な心身をもって
生まれてくるこどもたち。

それなのに大人はこどもたちに一生懸命目的を持たせ、
予定通りに動かし、型にはめようとしています。
個性を大切に、と言いつつ、我が子が平均から外れると
心配し慌てて平均に押し込めてしまいます。

でもそもそも個性的でないこどもなんていません。
私と夫が授かった三人のこどもたちは、同じ親から
生まれてもまったく違う個性を持っています。

その生まれたときから持っている個性を潰さない
ためには、こどもたちの「無目的性」を尊重することが
大切なのではないかという考えにこの数日で至りました。

無目的になるのは自然に身を置く時間。
虫の足をとってみたり、海に飛び込んでみたり、
野山をかけっこしたり…そういう経験が心とからだの
バランスを自然に保つための初めの一歩だと思います。

集中力がないとか、言うことを聞かないのは目的無く
生きているのだから当然なこと。
こどもらしく育っている証拠です。
(と言いつつよく叱ってしまいますが。)

大人の考え方や生き方を押し付けず、あるがままを
受け入れる…そんなおおらかな心を持ってこどもたちと
接することで、こどもはこどもらしく、生まれたままに
個性的でいられるんだと思います。

妊娠したことがわかったときに、超音波で確認した
鼓動を打つ小さな命。たったひとつの個性をもった命。
あのときの感動を忘れずにいたいものです。

そしてそれが型にはまらない未来と美しい地球に繋がるはず。
そのためには大人がこどもの自然を受け入れる、または
放っておく器を持たねばなりません。

2013年4月5日金曜日

三つ子の魂




「それはまるで山にかかる雲のように、私の心を覆っている」

小さいとき母に言われたことや、母に求めたことに関する記憶は、
どんなに歳をとっても忘れないものです。

むしろ歳をとってからだったり、自分が親になってからの方が
鮮明に思い出すような気がします。

母に言われた些細なことが、子供に大きな影響を及ぼすことを
母親はほとんどの場合意識していないと思います。

母親に「うるさいから黙りなさい」といわれたことがきっかけで
口をつぐんでしまったこと。

母親にあまり可愛がってもらえなかった・・・と未だに
コンプレックスを抱いていること。

そんな思いを友人から聞き、自分が何気なく発している息子への
言葉が、一生息子の心に刺さる可能性があるのだ、と思って
どきりとしました。

私自身も母親があまり一緒に過ごしてくれなかったことを
今でも「あの時どうして一緒にいてくれなかったのだろう」と
思い出すことがよくあります。

子供というものは、小さい頃に与えられた愛情が小さければ
小さいほど、人生における「足りない」「さみしい」という
思いが大きくなり、親や恋人にたくさんの愛を求め続けるの
かもしれません。

その子の愛の求め方や与え方が、今の子育てにかかっている
と思うと、思っている以上に愛が溢れる接し方をしているくらいが
子供にとっての幸せにつながるのだろうな、と感じる今日この頃です。

子供が笑顔で生きていくために必要なのは、母の愛、なんですね。

2013年3月11日月曜日

未来をおもう3.11



あれから2年。

亡くなった方は2万人を超え、避難されている方は未だに
約32万人いらっしゃるそうです。

癒えない傷跡。
それでも、いろんな人が、いろんなかたちで、
いろんな壁を乗り越えようと必死にもがいてきた2年。

原発のこと。
汚染されていく海や川や空。
こどもたちの未来は決して明るいものではありません。

人間は、記憶し、記録できる生き物。
過去を振り返り、未来を展望できる人間だからこそ。
もしいま自分が幸せだと感じるならば。

この星を
この命を
一度でも美しいと思ったことがあるならば。

次はその幸せを、その美しさを、こどもたちが
未来で感じられるように努力することこそ
私たちの使命だと思います。

2013年3月3日日曜日

味噌作り




人生2度目の味噌作り。
今年はFacebookの呼びかけに応えてくれた友人と
一緒に作りました。

味噌作り経験者の友人ということもあり、阿吽の呼吸で
どんどん作業がすすみます。

最後は庭に落ちていた大きな石を重しにして完成。
あとは天地返しまでじっくり待つのみです。

3歳の息子も張り切ってくれました。彼にとって
「味噌は家でつくるもの」になっていくのがうれしいです。

味噌は作る人の「手」によって味が変わるといわれています。
そして今年ははじめての玄米味噌。
どんな味になるのか、今から楽しみで仕方ありません。

春がそこまで来たら、味噌。
夏が近づいてきたら、梅干し。
秋には、干物。
冬には、漬け物。

ほかにもいろいろありますが・・・
そんな風に季節を生活のなかで感じる日々を送りたいです。

毎年作る予定なので、やってみたい、という方は
また来年ぜひご参加ください。

2013年3月2日土曜日

うまれるを観ました




昨日は映画「うまれる」を観てきました。
赤ちゃんと一緒に観られる映画ということもあり、
会場は子連れのお母さんでいっぱいです。

この映画は、

両親の不仲、虐待の経験から親になることに戸惑う夫婦
完治しない障害を持つ子を育てる夫婦
出産予定日に我が子を失った夫婦
子を望んだものの授からない人生を受け入れた夫婦

が現実に向き合い、乗り越えて行く姿を撮った
ドキュメンタリー映画です。

出産だけではなく、『うまれる』ということを
幅広く捉えている映画で、親子関係やパートナーシップ、
男性の役割、そして生きるという事について考えさせられる
内容です。

自分の経験と重なり、何度も涙ぐんでしまいました。
ふとまわりを見渡すと、皆さんハンカチを持っていました。
一緒に行ってくれた夫も泣いてしまったようです。

素直に命に感謝できる映画をぜひ沢山の方に観ていただけたら
いいなあ、と思います。
自主上映会、まだまだ開催されるようなので、ぜひ。

2013年2月5日火曜日

びわ葉エキスつくりました



九州から取り寄せたびわの葉。
しっかりと厚みがあり、美しい深緑の葉には
見るからに生命力が溢れています。

その葉を一枚ずつタワシでこすって洗い、
乾かして切ります。

熱湯消毒した容器にびわの葉と、
庭で摘んだラベンダーを入れ、
上から米焼酎をかけます。



米焼酎も九州のもの。 米と米麹のみでつくった、漬け込み用にするのは
もったいないと言われそうな焼酎です。
開けた瞬間いいかおりが漂います。



次の冬まで漬け込んで、葉を濾し、濃いエキスを抽出する予定です。
やけど、虫さされ、湿疹に。
化粧水や美容液としても。

エキスの途中経過をまた報告させていただきます。

2013年2月4日月曜日

受け入れる、ということ



私は生まれつきの「くせっ毛」で
すぐに髪がうねったり、くるっとしてしまいます。

真っ直ぐの女性らしい髪が羨ましくて
一生懸命ブラシで伸ばしたり、今でもストレートパーマをかけたりして
その頑固な「生まれつき」に逆らってきました。

私の真っ直ぐな髪を見て、母はいつも
「くせっ毛の方がかわいいのに」
といいます。

そういえば、小さい頃よく母が私の髪を
指で優しく梳いてくれたっけ。

もうすぐ6ヶ月を迎える娘の髪がだいぶ伸びてきました。
その髪は、私とおんなじの柔らかいくせっ毛。

その髪を撫でながら、「なんてかわいいんだろう」と思うのです。
そしてはじめて母の気持ちを理解しました。

自分自身や他人に対しては、なかなかできない
「そのままを受け入れること」が
こどもに対してはいとも簡単にできてしまう不思議。

これが親というもの。
これが愛というもの。

こどものすべてをそのまま受け止め、受け入れてあげること。
自分には決して満足せず、何かを求めて試み続けること。

子育てにはいろんな悩みがつきものだけど
それができていれば、なんとかなるんじゃないかと思います。

自分で努力をせず、振り向いてこどもに何かを押し付けるのではなく
自分は常に前を向いて進み続け、こどもを見守っていけたら。

命をつなぐことは、思いをつなぐこと。

Responsibleにはきっと2種類あって、
「やらなくては」と意志を持って請け負う責任と、
無償でも、無意識に、いつの間にか芽生えている責任。

努力して受け入れることも大切だし
何も考えずにそのまんまを受け入れることも大事。

どんなかたちであれ、日々命に感謝しながら、つないでいこうと思います。

2013年2月1日金曜日

手仕事との出会い




私と手仕事の出会いは、忘れることが出来ません。
亡くなった次男の骨が入った、火葬場でいただいた骨壺が
どうしても好きになれず、しばらく自分のそばに置くのなら
素敵な骨壺に入れてあげたい、と思い、「もやい工藝」で
探したことがきっかけでした。

そしてそのとき見つけたのは、出西窯のきれいなブルーの
入れ物でした。一緒にお香立ても見つけることができました。
本来どのようにして使われるものかは定かではありませんが、
今思うとちょうどそれらが見つかったのは運命のような
気がしてなりません。
それ以来、何度もお店に通っていますが、同じものを
見かけたことが一度もないのです。

それからお店を訪れ、置いてある手仕事の品々の美しさや
力強さ、素朴さ、使い勝手のよさにどんどん惹かれて
いきました。そしてお店に置かれていた冊子に書かれた
ひとつの文章が、「こうなってほしい」と思っていた
日本を具体化していることに気付きました。

会報「SILTA 1号」より抜粋

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手仕事フォーラムがめざすもの

現在の私たちが享受している物質的な「豊かさ」は、環境破壊の
上に成り立っていることを否定するわけにはいきません。
天然資源の乱獲・乱伐や廃棄物による自然環境の汚染という
直接的な破壊だけではありません。「豊かさ」を求める人間の
巨大なエゴは、時として戦争という最悪の環境破壊を引き起こす
こともあります。
こうした世紀末的な状況に直面し、「破壊の速度を緩めなければ
ならない」という運動が各方面で起こっています。しかし、
私たちが、環境破壊を前提とするライフスタイルを根元から
断たなければ、問題を解決することは出来ないでしょう。

人間が、その能力以上のことを行えなかった時代の人間の生産行為
ー手仕事のものづくりーは、そのまま自然の営みの一部として、
自然界の現象や生態系と共存していました。ところが技術の発達
により、資源の収奪が可能になった現代の工業的なもの作りは、
自然を破壊し、ひいては人間の未来をも奪おうとしています。
先端技術をひていするわけではありません(実際、使い方さえ
間違わなければ、技術は素晴らしいものです)。しかし、
私たちが環境破壊を前提とする豊かさではなく、真の豊かさを
目指すならば、かつて自然と共生していた時代のものづくりの
価値の大きさを無視するわけにはいかないでしょう。
消費者が変われば社会は変わります。「生活の基本である
衣食住には、環境破壊をひきおこさない手仕事の品をとりいれる」
というふうに、私たちが生活スタイルをほんの少しだけ工夫する
ことがやがて大きな力となり、自然と対立する現在の文明の
ありようも改善されていくのではないでしょうか。

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他の国のものに染まってしまうのではなく、地域の特色を
生かす経済。消費することで大企業ではなく、地域の歴史
ある文化が活性化する社会。環境を壊すのではなく
持続させる工業・・・。

「消費者が変われば社会は変わる。」
手仕事のものにかかわらず、より多くの人がこの言葉を
思い浮かべながら、衣食住にかかわるものを購入するように
なればいいな、と思います。

誰かに使われてきたもの。
環境を壊さない素材でできているもの。
修理ができて繰り返し使えるもの。
長持ちするもの。
美しく、ずっとそばに置きたいもの。

今後もときどき、手仕事にまつわることを発信していきます。

2013年1月31日木曜日

びわ葉エキスと水




娘が生まれてからもうすぐ6ヶ月。
肌の弱い娘は、乾燥している季節ということもあり、
湿疹やがさがさ、とびひなどトラブルが絶えませんでした。

この2ヶ月で3カ所の皮膚科を受診しましたが、
人気のある皮膚科は予約しても待ち時間が長く
皮膚で悩んでいる人の多さに驚きました。

3カ所のうち、2カ所の皮膚科ではステロイドを
処方されましたが、漢方治療を行っている1カ所では
「ステロイドなんて塗らない方がいいよ。放っておけば
治るから。」といわれました。

その言葉に勇気づけられ、放っておくこと2−3週間、
娘の皮膚トラブルはほぼ完治しています。

ここ1週間は、びわを焼酎に漬け込んだ、びわ葉エキスを
塗っていますが、どうやら効果があるようです。

夫と私もこの数年、冬になると脛が痒くなりなかなか
治らなかったのですが、びわ葉エキスを塗りはじめてからは
湿疹やかさぶたがみるみるきれいになりました。

痒みが急におさまったり、赤みが急にひいたり、という
薬のような効果はありませんが、ゆっくりと、じんわりと、
肌が健康を取り戻しているような感覚があります。

そして同時に、寒いからといって熱いお湯に浸からないこと
が重要。
特に赤ちゃんは乾燥しやすいので肌トラブルがある場合は、
冬場おしりをお湯で洗うだけでも十分だそうです。
石鹸で洗うと皮脂が奪われてしまいがさがさになってしまう
赤ちゃんも多いとか。
私もお湯ではなく、水で顔を洗うようになってから
肌の乾燥が一気になくなりました。
娘は水で濡らしたガーゼで顔を拭く程度にしています。

清潔にしすぎること。薬に頼ること。
現代では当たり前に受け入れてしまうことが、思わぬ
トラブルを招いているのでは・・・と感じたこの数ヶ月でした。

効果のほどは人それぞれだとは思いますが、
びわは昔から様々な効能をもつ万能薬として用いられ、
インドの古い仏典では大変優れた薬効を持ち生きとし
生けるものの万病を治す植物として登場するそうです。

すっかりびわの魅力にとりつかれている私。
次の乾燥の季節に向けて、自家製びわ葉エキスを作ることにしました。
梅干し、味噌に続く自家製の試み。
もし自家製エキスでも効果があったら、少しでも多くの人に
その良さを伝えたいと思っています。

2013年1月22日火曜日

よりどころ



子育てで壁にぶつかったとき。
人間関係でうまくいかないとき。
どうしようもなく悲しいとき。

ただじっとしていても痛みは通り過ぎていきますが
大抵の人は何かを思うことによって、その山を
乗り越えているのではないでしょうか。

あるひとは自分よりつらい境遇の人を思い
あるひとは自分にとってかけがえのない人を思い
あるひとは神や仏や精霊たちのことを思い
あるひとは自分がこれまで乗り越えてきたことを
思うかもしれません。

私にとってのよりどころもひとつではなく
そのときによって違います。

大切な家族であったり、
空に還った次男だったり。
最近は古い時代の人々であることが多いです。

でも実際によりどころになっている、大きな根っこは
自分の経験してきた人生であるような気がします。

何かを乗り越えていくたび、前に抱えていた悩みは
風のように過ぎ去り、次から次へと山が現れます。

それが生きるということ。
頂上にきたつもりでも、いつの間にかまた麓に立っている。

そんな風ににょきにょきと現れる大小様々の山を
どんな方法でもいいから、手を伸ばし登り始めて、
登り終えたときに目にすることが出来る風景を
こどもたちと一緒に見ることで
こどもに「山を超えるのはふつうのことなのだ」と
教えたいです。

強く頑丈に見える山でも、なにかのきっかけで
ある部分が崩れることがあります。
人の心も、ある部分は弱くて脆いもの。
崩れることを防ぐためには、いろんなルートを
経験し、危険に対処する技を身につける必要があります。

その険しい道への一歩目をこどもたちに教えることで
その後こどもたちが自分の足で登ることを覚えてほしい。

ときどき険しい道にいる自分を、客観的に眺め、
自分たちに何が必要なのかを見極める時間が必要だと思います。

一度ゆっくり、眺め直してみるのもいいかもしれません。
歳をとってから登山を始める人が多いように、
遅すぎるということは決してないのだから。

2013年1月13日日曜日

うまれる




昨年末から今年にかけて、出産を迎える友人が何人かいました。
3年半前にはじめて経験した出産。
その瞬間から人生そして価値観が変わりました。

それまでは、出産について深く考えたことはありませんでした。

そして1年半前に経験した次男の誕生死。
それまでは、悲しいお産があることについて
深く考えたことがありませんでした。

女性にとって、お産とは。
ただ産むことだけがお産ではないと感じている今日この頃。

女性としてうまれ、自分の人生を楽しむだけでは、
大事なことを知らないまま人生が終わってしまう気がします。

私にとって魅力を感じる女性は、

産む痛みを経験した女性。
産めない辛さを経験した(している)女性。
育てられない悲しみを経験した女性。
産んだあとも悩みを抱えながら前向きに生きる女性。
産まない選択をしたうえで、誰かのために生きている女性。

もちろん、それを女性とともに経験した(している)男性も魅力的です。

男女共通の経験値は、仕事でも積み重ねられるかもしれませんが、
女性だから発揮できる輝きは、こういう経験からうまれるのではないかと
思います。

さまざまなドラマをうむ「お産」についての映画、「うまれる」の
自主上映会がいろんなところで開催されています。

以前友人に誘ってもらったのに行くことが出来ず、はや2年。
ようやくチャンスが巡ってきました。
3月1日の上映会に行ってみるつもりです。
書籍(「うまれる 〜かけがえのない あなたへ〜」)で読んだのですが、
特に男性の方に見ていただきたい内容です。
スケジュール合う方はぜひ一度上映会に足を運んでみてください。

痛い、つらい、お金がかかる・・・など、ネガティブなイメージも
持たれているお産。
まだまだこれからはじめてのお産を経験するであろう女性たちにも、
生き物としての根源であるお産の素晴らしさを伝えていきたいです。

そのうち、仲間たちと一緒に自主上映会を開催できたらいいな!

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2013年1月12日土曜日

はじめまして、はじめました




私は資格も何もない、育児休暇中の主婦です。

この数年、現代人のあるべき姿やこどもたちに残すべき
未来の姿について考えてきました。

そしていてもたってもいられず、とりあえず何か始めてみよう、
ということで"FUMOTO"をスタートしました。

"FUMOTO"は山の麓。
頂上ばかり目指すのではなく、しっかり、ゆっくり、一歩ずつ。
できるところから、いろんな角度から、それぞれのスピードで
目指すところにすすんでいきたいと思って、名付けました。

目的は、「心もからだも根っこから健やかに生きるために。
こどもたちに明るい未来を残すために。できることをなるべく
多くの人に伝え、実行してもらう。」ことです。

どなたでも、「こどもたちのために一緒になにかをはじめたい!」
という方、お待ちしています。
衣食住とからだについて共に考え、より良い方向にすすめるよう、
いろいろ企画していきたいと思っています。