2014年3月31日月曜日

味噌 2014




遅ればせながら今年も味噌を仕込みました。

毎年友人を呼んで、みんなで子どもを見つつ助け合って
作る味噌。

材料は大豆、玄米糀、塩。

水に漬けて、煮て、つぶして、丸めて、投げ入れる!
というシンプルな工程を経て出来る味噌はじわじわと
発酵し、日本人に欠かせない健康食に変身するのです。
数年もつのだから、本当に昔の人の知恵には感心・・・。

と今までのブログを見返すと、昔の人ばっかり褒めていますが
現代人の知恵もすごい!今年ははじめて友人にいただいた
バーミックスを使って大豆をつぶしたのですが、すり鉢で
つぶすのに比べて早いのなんの・・・文明に感謝した瞬間でした。
そんな感謝ができるのも古きを知っているからこそなのです。




丸めた味噌玉をえいやー、と杉樽に投げ入れるのは
こどもたちの役目。
はじめは遠巻きに見ていた娘も最後はいとおしそうに
味噌を撫でていたのが印象的でした。




みんなの菌に触れた味噌がどんな味になるのか?

これからの半年が楽しみです。

冬を締めくくる(今年はだいぶ春になっちゃいましたが・・・)
我が家の大切な行事です。




最後はカビを防ぐために塩蓋を。

2014年3月28日金曜日

日本に生きること




春。多くの動物が命を生み、育む季節です。

最近読んだ本でとても印象に残る内容がありました。

一冊目は宮本常一著「忘れられた日本人」。

宮本常一(1907-1981)は生涯に渡り日本各地でフィールドワークを行い、
農村に住む人々やその生活の膨大な記録を残した人です。

柳田邦男などの民俗学者と異なるのは、当時ほとんど無視されていた
漂泊民や被差別民、性などの問題を重視したことです。

「忘れられた日本人」にはフィールドワークの中で出会った人々の様子や
老翁、盲目の乞食老人から伝え聞いた話などが収められています。
歴史の教科書には決して載らない日本人の姿です。でもその農民たちが
日本固有の文化の多くを形成してきたことを考えると、これこそ日本の歴史
なのではないかと思います。

詳しく書くと長くなってしまうので、簡単に印象に残ったことをまとめると、

・村のしきたりや伝説はすべて口頭で伝承されてきたが文字文化の発達に
よってようやく情報や記録が外まで伝わるようになったこと

・田植えなどの作業のときには人々が田植え歌などを歌い、日常生活でも
歌や昔話、誰かの経験を非常に大切にしていたこと

・農民の男女ともに性的な話を日常的にしていたこと。性的なことを非常に
大切にしていたこと

です。

口で伝えることのなくなった私たちの言葉には、言霊などの見えない力や
物語る力が少なくなってしまったように思います。
また、工業化や西欧文化の流入で物事を理性的・経済的に考えるように
なったことで、性的なことは悪い、というネガティブなイメージを
持つようになり、日本人が本来持っていた「生命力」や「本能」というか、
「自然のおおらかさ」というものは失われてしまったのだと思います。

無名の人々が無数に蓄えていた「忘れられた日本人」の姿を記録した
宮本常一。こどもたちに伝えたいことがまたひとつ増えました。

もう一冊は自然分娩で有名な吉村正先生の
「いのちのためにいのちをかけよ」。
この本は数年前に読んでいたのですが、民藝の知識が増えたり、
宮本常一の著書を読んでから改めて読むとまた新たな視点で読むことが
出来ました。

一部文章を抜粋-----
性ですら、今はどちらかと言えば個人的な娯楽みたいな、楽しみみたいな、
そういう方向に堕落しすぎとる傾向があると思うな。・・・省略
・・・「金がありゃいいんだ」という今の生き方は、その人が生を、平均寿命
以上をより良く全うしようという手段でしょ。そういう個人的なことばっかり
考えてちゃいかんのですよ。・・・省略・・・
子どもを産み育てるということがもっと人間にとって楽しく、生きがいのある
ものになれば、金があればいいんだという意識になりにくいと思うよ。
古代の文化はみーんなそれだよ。子どもが一番の宝。今みたいな金が一番の
文化は、近現代以前はまずないんじゃないですか。
-----

確かに現代人は「自分の人生をいかに長く、安心して、楽しく生きるか」
というのが大きなテーマになっています。でも昔の日本人から感じるのは、
「限られた人生を懸命に生きる姿」や「人間の生の濃密さ」です。
動物はずっとそうですが、人間もわりと最近までは「生」=「性」
だったことがこの2冊を読んで分かりました。

また長くなってしまいましたが、昔の日本人の感性は手仕事のものたちと
同じようにその多くが失われてしまいました。
それでもその中から未来を明るくする要素を見つけ、生きるヒントに
していければ、かつて日本人の中に存在していたおおらかな自然の心を
取り戻せるのではないかと思います。

慣れてしまうと気付かない、自分の国のこと。
これからも日本について触れていきます。

2014年3月12日水曜日

手仕事の日本めぐり:埼玉


埼玉の工芸品、といって私は何も思い浮かべることが
できませんでした。が、「手仕事の日本」では
「東京近くの県で比較的様々な郷土品を有つのは
埼玉県であります」と述べられています。

その中で、埼玉県が生産量日本一を誇るものがあります。
なにか分かるでしょうか?

答えは鯉のぼり。
都会では空に舞う大きな鯉のぼりを見かけることは
なくなってしまいましたが、田舎に行くと競うように
立派なものが飾られているのを目にします。



父の故郷鹿児島にて、裏山で切った竹を立てて飾った鯉のぼり。

鯉のぼりは中国の「黄河の急流にある竜門と呼ばれる滝を
多くの魚が登ろうと試みたが鯉のみが登り切り、竜になることが
できた」という故事にちなんで出世と健康の象徴となったそうです。
それを大空に泳がせるというおおらかさと力強さ、センスは
日本人独特のものです。

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「鯉のぼりが本格的につくられはじめたのは江戸時代
後半といわれています。
埼玉県での鯉のぼりつくりは、現在、加須市を中心と
しています。この地域では明治初期に、傘や提灯を作る
職人が、材料の和紙を用いて本業の合間に鯉のぼりを
つくりはじめたと伝えられています。
しかし、当時の鯉のぼりが全国に名を広めたのは、
大正12年の関東大震災以降のことです。
震災で打撃を受けた東京の業者が生産を中断してしまい、
品質のよいと評判だった加須のこいのぼりをもとめ、
全国にひろがりました」
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100年以上続く手描き鯉のぼり店「橋本弥喜智商店」HPより

不思議なのは大抵手仕事のものが本格的に作られはじめたのは
江戸時代だということです。江戸時代に商業が発達し、地域間
でのやりとりが盛んになったためでしょうか。

人間が誕生して何千万年。そんな長い時を経て、日本の風土と
ともに発展し、江戸時代にやっと認識された日本の手仕事の品々。
日本人の蓄えてきた知恵と技と感覚が詰まっています。

庭の小さい我が家では鯉のぼりを立てることは出来ませんが、
型絵染め作家・柚木沙弥郎さんの鯉のぼり型絵を飾る予定です。

2014年3月4日火曜日

健康の美





手仕事の品々を見て、いつも「美しい」と感じていましたが
なぜ美しいか、そして民藝における美しさとは何なのか、が
「手仕事の日本」を読んでようやく腑に落ちました。

美しいというと芸術的なものを思い浮かべがちですが、美術と
工藝は対局にあると柳宗悦は語っています。

美術品は眺める美。一方工藝品は用いる美。
そしてその一番の違いは「物と人との主従関係」。
美術品は誰が作った、とかどのくらい個性的であるかを重視
しますが、民藝のものは職人が誇りを持って作ったものでも
名を記さず、いわば物が主で自分が従だと柳氏は言っています。

自然の材料で作られた物に従うということは、自然の摂理に従う
ということです。この不自由さこそが確実さを受け取る所以であり、
祖先の知恵と伝統に従うことで手仕事の物たちは実用性を極めました。
これを柳氏は「他力の美しさ」と呼んでいます。他力とは人間の力を
超えた力。これに従順するからこそ美しさが生まれるのだと。

ではそれはどんな美しさなのか?

柳宗悦は品物も人間も同じで、どれだけ健やかな心と体の持ち主かを
見ればよい、といいます。つまり、健康。

美しさにも色々ありますが、あるものは社会を幸福にし、あるものは
社会を暗くします。その中から何が本当に美しいかを選ぶ基準が「健康」。
健康の一番の特色はそれが一番自然な本然の状態であるということ。

逆に角のあることや冷たいことは人類の幸福を保証してくれません。
それはまさに大量消費や一時の流行のために作られる物を想像させます。

そして美を見極めるヒントとして「込み入った装いの物よりは、単純な
ものの方にかえって美しさが豊に現れるような仕組みが世の中にある」と
柳氏は語ります。
かねてから生活を、そして生き方を単純にしたいと考えていた私にとって
とても共感できる言葉でした。

「私たちは健康な文化を築かねばなりません。
日本を健康な国にせねばなりません。」
という柳氏の言葉に胸が熱くなりました。

日本は長い伝統をそのままの形で残すことが出来た類稀な国です。
多くの手仕事が消えたとはいえ、まだまだ残せるものはたくさんあります。
健全で固有な日本のものを用いて暮らすことこそ、私たちの務めであり
誇りであると伝えることが、民藝の道です。
このような道に触れることができたことを悦ばしく思います。

0から1を伝える






ごはんを作ることは大好きですが、働きながら子育てしていると
どこかで手を抜かないと疲れてしまいます。

ときどきインスタントラーメンを食べたり、コロッケを買ってきたり、
スープ缶を利用したり・・・。

それはそれで仕方ない。
でも子供たちに知っていてほしいのは、食べ物はスーパーで
作られるんじゃないってこと。

あたたかい料理がお母さんの手で0から作り出されたものだと、
たまにでもいいから感じてもらうことが大事だと思います。

不揃いな餃子やハンバーグ。
しっかり、ゆっくり出汁をとったスープ。
手作りの味噌やお餅やあんこ。
簡単でも体にやさしいおやつ。
シリアル、パスタ、うどん、お漬け物などなど。

そしてもし出来れば、いつか鳥を絞めるところや捌くところ、
畑で野菜を育てること、魚を捕ることも体験させてみたいです。

そんな「0からできる」という発見の積み重ねが
「自分が何もしなくても世の中にはすべて準備されている」とか
「知らない人が作ったものを食べるのは当たり前」という
価値観を変えてくれる気がします。

何よりも0から作ったものを食べることは、自分が楽しいし、
やっぱり出来合のものより美味しいのでやめられません。