2014年2月26日水曜日

手仕事の日本めぐり:茨城


関東をめぐる旅。
こどもが産まれるまでは毎週のように通っていた茨城。
海でサーフィンばかりしていた頃、手仕事については
まったく知りませんでした。

「水戸は徳川三家の居城でありましたから、昔は
色々の手仕事が栄えたことと思いますが、今は衰えて
しまいました。」と「手仕事の日本」で語られています。

江戸時代のように国を治める指導者が手仕事を推奨する
ようになるといいのですが、それは経済のあり方が
変わらなければあり得ないことでしょう。
機械化、大量生産大量消費を求める現在の経済。
一方「宮内御用達」というと一変して手仕事による
伝統品が多くなります。
古い伝統を受け継ぐ生活が、意外なことに大都会東京の
宮内に存在するのかもしれません。

話は茨城にもどります。
手仕事の少なくなった茨城で、現代になって見出された
窯があります。かつて茨城の真壁でさかんに作られていた
「磨き土器」。真壁で現在唯一の窯となった職人横田安さん
の横田窯です。

磨き土器とは・・・
・田んぼから採取した鉄分の多い土をろくろや型で成形
・半乾きの状態にし、自作の道具で成形をととのえる
・黒鉛などを布を使って塗り込んでいく
・乾燥させ石などで何度も磨くことにより光沢が出る

小さなものから大きなものまで作る横田さんの真っ黒な手に
職人らしさがあらわれています。

50年以上土器を磨き続けた横田さんの人となりと作品は
手仕事フォーラムのサイトからご覧いただけます。



人類の進化の象徴ともいえる土器。
かつての人々がもっていたおおらかさが現代の土器にも
現れています。器は大地の恵み。

我が家にある蚊取り線香用の土器です。
漆黒の土器はシンプルで力強く、丈夫。
これで3150円と値段もお手頃です。

現代の暮らしに昔懐かしい道具を取り入れてみては
いかがでしょうか。

2014年2月23日日曜日

とどまるもの、とどまらないもの。





先日数ヶ月ぶりにひとりで都内に行きました。

最近は平日も週末もこどもと家の近くで過ごしているので
1−2時間電車に乗るだけでも旅をしている気分になります。

都内で感じたのは、「いつもと違うにおいがする」こと。

雑踏の中で嗅ぐ香水のにおい。
通りに漂う異国料理のにおい。
お洒落なお店独特の背筋が伸びるようなにおい。

嗅覚と同じくらい、ほかの感覚も研ぎすまされていた気がします。
犬がいつもと違う場所に行くと、くんくん嗅ぎ回るけれど
人間も場所が変わるとしっかり変化に気付けるものです。

旅をすることで人は五感、六感を研ぎすませている。

じゃあ、おんなじ場所にとどまっていると感覚は鈍るのか?

そんなことはないと思います。

同じ場所で、同じ動きを繰り返すことで、職人さんやアーティストは
意識よりも感覚で、勝手にからだが動くようなものづくりができる
ようになります。

さらにいろんな場所で感じた体験や、誰かが違う場所から運んできた見識を
もとに、より感覚を研ぎすませてととどまるものを生み出していく。

あの職人さん、あの幕末志士、あの明治時代の人・・・
すごいなあと思う人は、みんな沢山の考えやものと出会い、受け入れ、
どーんと構えて一筋の道をつくってゆく・・・

毎日ばたばたと過ぎる子育て中の毎日のなかにも、感覚を研ぎすませる
何かがあるのだろうか。
子育てそのものが、マンネリなようでいて実は新鮮な体験の繰り返し。
それを感じるためには子供と同じくらいフレッシュな気持ちで物事に
接することが大切かなーと思います。

2014年2月8日土曜日

役目のはなし




妹が生まれて以来不安定だった息子の心がこの数ヶ月でかなり
落ち着いてきました。
妹に対してとっても優しく、彼女のために我慢することも
覚えました。そんな彼を見て私は「あ、そろそろいいかな。」
と思いました。
何がいいのかというと、仕事をあたえることです。

簡単にいうとお手伝いなのですが、お手伝いっていうと
気が向いたときだけやる印象なので、そうではなく「仕事」。

まずは毎日のゴミ捨てとお風呂掃除です。
「あなたがやってくれないと、みんながとても困る」と
伝えたら、「わかった」と納得していました。

役割があるということは、誰かのために何かが出来るだけ
ではなく、「自分の存在価値を知ること」でもあると思います。

我が家でよく見ている宮崎駿さんの映画に出てくる少年少女は
みんな仕事や大事な役割をもっています。
中でも「千と千尋の神隠し」の主人公である千尋は、仕事を
通して体験した様々な出来事によって大きく成長を遂げます。
ぼんやりなんとなく生きていた千尋。最後には彼女の目が
まっすぐに世界を見つめ、生きるよろこびを感じるようになります。

自分の存在価値を知ることは、命をもって生まれてきたことに
感謝できるきっかけのひとつ。
まず最も身近な家族が、猛烈に自分を必要としてくれていると
しっかり子供たちに感じさせてあげることが大事だと思います。

「必要とされているんだ!」と気付けるセンサーが育たなければ、
なんとなくぼんやり、生きがいのない人生になってしまうかも・・・

昔は幼少時代から皆が家の生活を支える役割を担っていたので
自然に自分が必要とされていることを感じることができたと思います。
現代は肉体的に「生きていくこと」(飢えを凌ぐこと)が容易すぎて、
精神的に「生きていくこと」(目的を探すこと)が難しくなっています。
10歳くらいまでに、いかに親が子を必要としてあげるかが、その後の
人生に大きく影響を与えるのではないでしょうか。

男として生まれてきた息子には、特に「生き残る力」を養って
ほしいと思います。

司馬遼太郎の「燃えよ剣」にこんな場面があります。

「しかし土方さん」と、沖田(総司)はちょっとだまってから、
「新撰組はこの先、どうなるのでしょう」
「どうなる?」
(土方)歳三は、からからと笑った。
「どうなる、とは漢(おとこ)の思案ではない。婦女子のいうことだ。
おとことはどうする、ということ以外に思案はないぞ」

「どうなる」ばかりを心配するよりも、体が勝手に動いてしまうような、
そんな自由を身につけてくれたら、いいなあ。
そのためには肉体的にも精神的にも、色んな経験を重ねて鍛えていくしか
ないような気がしています。