物事を判断するときの基準は人それぞれだと思いますが
私の場合、ある物事が健全であるかを判断する基準は
「自然にどれだけ則っているか」
です。
人間は何千年、何万年もの間自然とともに暮らしてきました。
その間、多くの知恵と技術を身につけましたが「自然に則って
生きる」という姿勢はずっと変わりませんでした。
その姿勢が大きく変わってしまったのはこの百年程度。
だから「昔の人は長い歴史の中でどうしていたか?」
を多角的に考えることがとても大切だと思っています。
最近「牛乳を飲むことはいいことなのか?」という議論を
よく見ます。そしてその答えとして「人間なのに牛の乳を
飲むことはおかしい」という意見がありました。
私のもったこの答えに対する印象は
「不思議な考え方をするもんだなあ」・・・でした。
この疑問に対する答えは、場所と時代でだいぶ変わると
私は思います。
日本人は基本的に農耕民族でしたから、豆や穀物を中心に
摂取していました。だから調味料も醤油や味噌など豆を
原料にしたものが伝統として残っています。
一方ヨーロッパの放牧を生業にしていた人々の栄養源は
牛や山羊の乳やチーズ、パンなどでした。
どちらの人々も自分たちが生きていくのに必要な分だけを
必要な時だけに自然からいただいていました。
だからその場で絞った乳を殺菌などはせずそのまま飲んで
いたし、チーズなどももちろん自然の力を借りて作った
ものでした。
日本人が食べていた味噌や醤油も自分たちが食べる分だけ
長い時間をかけて発酵させたものでした。
でも今は日本人がかつては口にしてこなかった世界中の
食べ物がスーパーで売られています。
一般的に売られている牛乳、チーズ、味噌、醤油のほとんどは
大量生産のために「不自然に急いで作られたもの」です。
需要と衛生条件を満たすために短時間高温で殺菌しているために
昔の人のように生き生きと発酵した食べ物ではなくなっています。
かつては日本の中でも、地域によって食べているものに
特色がありました。私の両親の時代でさえそうでした。
鹿児島育ちの父に聞くと「サツマイモと海のもの」。
千葉育ちの母に聞けば「菜っ葉や佃煮」などなど。
外海か内海かだけでも食べていたものは全然違うのです。
だから牛乳を飲むことは
「ある時代のある場所に暮らしていた人々にとっては
とても重要なこと」だと思います。
そして飲むこと自体よりも疑問をもつべきことは
「飲むために何が起きているか?」。
牛だって人間と同じ。妊娠していなければ乳はでないのです。
人間の人工授精によって妊娠・出産を強いられている牛は
最も過酷な労働をしているといわれています。
そんな風に、自然に則っていないことが私たちの衣食住に
たくさん存在しています。
思い出すのは、もやい工藝店主・久野恵一さんがよくお話
してくださる器についての話です。
大分県の山あいで作られる小鹿田焼と島根県の石見で作られる
石見焼。どちらも食べ物を保存するための大きな瓶を長い間
作ってきました。でも主要な道や海から遠い小鹿田では
使う陶土を薄くのばし出来るだけ軽いものが作られるように
なりました。一方海から近い石見ではどっしりと重いものが
作られたのです。
今では電車などを使えば数時間で移動できるふたつの地域に
その風土ならではの伝統的な技術と知恵が積み上げられて
きました。
日本、そして世界すべての地域に当てはまることです。
気温、湿度、土質その他あらゆる条件の違いで、生き方を
柔軟に変えてきた人間の知恵は目を見張るものがあります。
世界中と繋がるようになればなるほど、広い視点で物事を
見る努力をしなければ。
もののけ姫のアシタカが言う台詞、
「曇りなき眼で見定める」
という言葉がとても好きです。
人間中心の便利さや快適さを追求すればするほど
自然を見る眼は曇っていきます。
現代人が健やかに生きるために。
自然に還ることもできないし、自然から離れることも
できない。ではどうしたらよいのか?
子どもたちのために考えなければなりません。






