2014年4月27日日曜日

芹沢銈介:ふるさとへの思い




念願の静岡市立芹沢銈介美術館に行ってきました。
展示は「ふるさとへの思い」。

芹沢銈介の展示を見るのは初めてだったのですが、その
美しさに圧倒され、仕事に対する姿勢に終始感動しました。

絵や紋様の質の高さと色彩感覚。
緻密な観察とスケッチが大らかさと自由さと
あたたかさをもった型染に昇華する様。

芸術家としてというより、ひとりの職人として沢山の
人からの依頼を受けて謙虚に制作を続けていた姿勢。

作品の幅広さと、様々な価値観を受け入れる感受性と好奇心。
「富士と雲文のれん」の悟ったような簡素さと「津村四季文着尺」
に見られる詩情にあふれた世界が同時期に存在するという
懐の深さに感銘を受けました。

作品の一部を芹沢銈介美術館のサイトでご覧いただけます。





「御滝図のれん」
なんという清々しさ!




「擦りぼかしカーテン地」
芹沢銈介がマリメッコのテキスタイルに刺激されて作られた
ものだそうです。生で見ると本当にあたたかい作品でした。


以下芹沢銈介美術館サイトより抜粋:

作家・川端康成は、「芹沢さんの五十年の仕事は世にひろがって、
芹沢銈介の日本があると思えるほどになっている」と評しましたが、
まさに芹沢は、日本をつぶさに観察して表現し、自分自身の日本を
生み出した人ともいえるでしょう。

抜粋ここまで-------------------

展示を見たあと、改めて「日本は素晴らしい」と思えました。

その後芹沢銈介のお弟子さんのひとり、型染作家山内武志さんの
お店「アトリエぬいや」に行きました。
初めて行った友人も大感激、わくわく心躍る作品がいっぱい。
山内さんの作品と一緒に世界中から収集されたフォークロアな
ものが展示・販売されています。





確実に師匠の心と感覚を受け継いでいることを感じました。

2014年4月23日水曜日

時を超える美しさ





この鋏を見たとき、その美しさにはっとしました。

余計なものが何一つない、素朴な鋏。

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「飛行機のみならず、あらゆる人間が作り出した物
において、ある原理が存在することを考えたことが
あるだろうか?
物を作る上での人間の生産活動、計算や予測、図面や
青写真を制作するために費やした夜などはすべて、唯一
にして究極の原理『シンプリシティ(単純性)』を追求
した物ができ上がることで完結するということを。

そこに達するためには、まるで自然の法則が存在
しているかのようだ。
つまり、家具、船の竜骨、飛行機の胴体などの曲線を
人間の胸や肩の曲線が持つ根源的な純粋さに少しでも
近づけようとするために、職人たちは何世代にもわたって
試行錯誤を重ねるべきであると。
何においてであれ『完全』とは、すべてを脱ぎ去り、
ありのままの姿に戻ったとき、つまり、加えるべきものが
なくなったときにではなく、取り去るものがなくなった
ときに達成されるのである」

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フランスの飛行家アントワーヌ・ドゥ・サンテグジュペリの
デザインに対する考え。
その考えを体現するような鋏だと感じました。

この鋏は種子島で1000年以上続く1軒の鍛冶屋で作られて
います。昔ながらの木炭で火をくべて鉄を打っているため、
一日に4〜5本しか作れないそうです。

手にすると、軽くもなく、重くもない程よい重量感。
もちろん、切れ味は抜群。

かつては多くあった種子島の鍛冶屋も、純粋な手仕事の
鍛冶屋は現在「牧瀬種子鋏製作所」一軒のみ。
その一軒も跡継ぎがいないため37代で絶えることが
決まっているということです。
ただ、外弟子の方はいらっしゃるのでどこかでこの技が
伝承され続けていくことを切に願います。

鋏は古代から使われ続けてきた人間にとって欠かせない
道具。手を使う道具だからこそ、手仕事の温もりを
感じながら大切に使い、いつか子供に譲るつもりです。

「シンプリシティ」。「加えるのではなく取り去ること」。
人間がこの原理に立ち戻るべき時がきているのではないかと
思います。

2014年4月21日月曜日

反省の種と希望の芽





先日土曜日に「ぱぱとままになるまえに」のイベントに参加し、
結婚から子育て・育休までの話をさせていただきました。

話すことはなんとなーく考えていったつもりでしたが、いざ参加者の
皆さんの顔を見て話したら、どんどん胸がいっぱいになって・・・
なんだかまとまりのない話になってしまいました。


どうしてだろう。

私が一番伝えたかったことって、なんだったんだろう。


私が想像していた参加者の皆さんは、まだ結婚していなくて
妊娠と出産に夢と希望を抱いている女性の皆さんでした。

でもいざお会いしてみたら・・・
20人ほどいらっしゃった参加者の皆さんは、まさにそういう方も
いれば、既婚で出産も経験している方、ばりばりキャリアを積んで
きた方、結婚や職場復帰に不安を感じている方、子育て中の男性・・・

本当にいろんな方がいらっしゃいました。

皆さんが経験してきたことや、それぞれの想いはどんなものだったのか。

結婚出来るのだろうかという不安。
はやく子供を持てばよかったんじゃないかという後悔。
出産したらこれまでのキャリアはどうなってしまうんだろうという懸念。
もしかしたら男女関係において辛い経験をされた方もいるのでは??

などなどお話もしないうちにいろんなことを想像してしまい・・・
どんなことを伝えるのが一番皆さんにとって参考になるのか?が
分からなくなってしまったのかもしれません。

しっかり話すことを決めて臨まなかったことに大反省。

でも終わったあとに、皆さんからとても優しい言葉をかけていただき、
ほんの少しでも伝えられたことがあったのかな、と嬉しくなりました。

どんな経験であっても、それが糧になる。
90歳の助産婦さん・坂本フジエさんみたいに、参加者の皆さん全員に
「大丈夫やで〜」と感じながら帰途につきました。

今回は「育休」がテーマでしたが、私が話し合ってみたい/知りたい
と思っていることには

性教育のこと
人間が本来もっている本能のこと
いろんなことに限りがあること
産むこと、産まないことについて
自然やそのまんまを受け入れること
いまの当たり前が当たり前じゃないこと
じじばばになったときのこと

うーん、他にもまだまだいっぱいあるなあ・・・

また何かのイベントに参加させていただいたり、このブログで少しずつ
話していけたらと思います。

2014年4月10日木曜日

手仕事の日本めぐり:栃木


関東の旅しめくくりは栃木県の手仕事です。

私の愛読書、グラフィック社「民藝の教科書」を開いてみると
栃木県の手仕事として奈良時代から続く烏山和紙や、江戸時代に
発展した鹿沼箒などが紹介されています。

「手仕事の日本」でも柳宗悦氏が「付け根がふくらませてあって、
色糸や針金でかがり、ゆったりした大型のほうきであります。
おそらくどこの産のほうきより広くいきわたっているで
ありましょう」と記しています。しかし掃除機の普及とともに
ほうきの需要は減り、ほうきづくり専門の職人は県内でも
ほんの数人だそうです。

鹿沼箒の魅力はこちらで写真とともに紹介されています。
朝の静かな時間に美しい箒を使って床を掃くのはなんとも
気持ちがいいものです。豊かな生活とは何かを考えさせられます。

しかしなんといっても栃木県を代表する手仕事といえば
益子焼。益子焼は江戸時代1853年に開かれました。
明治以降首都圏に近いという立地を生かし、日用雑記を
大量に焼き続けた窯です。(民藝の教科書より抜粋)

そして益子焼を現在のように有名にした立役者が
濱田庄司。優れた陶芸家であり、柳の一番の理解者
だった濱田が最終的に陶芸に取り組む場所として
選んだのが益子だったのです。

その益子でいまなお柳や濱田らが提唱した「健康の美」を
表現している方がいます。多くの人が陶芸作家を目指す中
名もなき職人としてひっそりと仕事をまっとうしている
木村三郎さん。
元来かたちも装飾も簡素だった益子焼の伝統を生かしつつ
卓越した技能で全国の装飾や技法を取り入れてきたそうです。




益子の伝統的な釉薬芦沼石から取った黒釉のティーポット

ハンドルや注ぎ口の美しさにはっとします。
このやわらかいカーブは掌で作るからこそ出来る技。

木村さんの仕事場の様子は手仕事フォーラムのサイトからも
ご覧いただけます。

日本を代表する窯場の伝統が今後も続くことを願います。
流行に流されることのない健康で簡素な手仕事を守るためには
職人の存続も重要ですが、私たち「使い手」が何を選ぶか?
も大きな影響をあたえると思います。

2014年4月4日金曜日

Japan Blue




手仕事に興味を持って以来、我が家の生活空間や私の
クローゼットには「藍色」のものが増えました。

Japan Blueというとサッカーのユニフォームを思い
浮かべる方が多いかもしれませんが、藍もJapan Blue
と呼ばれるそうです。

その生みの親は、明治初頭に来日したイギリス人化学者
アトキンソン。彼が町中にあふれる藍色を見てJapan Blue
と呼んで称賛したことに由来するそうです。
藍はそれほど庶民の日常に浸透していたのです。

日本人が大切に、大切にしてきた藍。
今では「民藝品店に置いてあるもの」という認識になって
しまいつつあります。でも藍の伝統を守ろうと仕事を
続けている人たちもいます。

藍の存在が今まで以上に気になりはじめたのは、友人から
徳島県に行って藍染めを経験してきた話を聞いたからです。
徳島藩は桃山時代に増産事業として藍の生産を保護、奨励
しました。
友人から藍の話を聞いた後、「手仕事の日本」を読んで
日本人が抱いてきた藍への愛情を深く感じたのです。

「手仕事の日本」より抜粋-----------
阿波には色々のものを数え得るでありましょうが、この国が
天下にその名を成したのは何よりもまず「藍」のためで
あります。「阿波藍」といって、日本全土に行き渡り、
おそらく紺屋という紺屋、皆多かれ少なかれここの藍を
用いました。
・・・途中省略・・・
何といっても「阿波藍」は藍の王様でありました。
色が美しく、擦れに強く、香りが良く、洗いに堪え、
古くなればなるほど色に味わいが加わります。こんな
優れた染料が他にないことは誰も経験するところで
ありました。
・・・途中省略・・・
しかし時は流れました。明治の半頃までさしも繁昌を
極めた「阿波藍」にも大きな敵が現れました。
染めやすい人造藍を考え出しこれを安く売り捌きました。
・・・途中省略・・・
これは時勢といえばそれまででありますが日本人は
人造藍で便利さを買って、美しさを売ってしまいました。
抜粋ここまで-----------

藍ほどに丈夫ではなく、洗えば色褪せてしまう合成染料。
柳氏のいうように、明治以降の日本人は歴史の中で
「便利さを買って美しさを売って」きたように思います。
これは未来のこどもたちに誇ることができるでしょうか?

確かに便利さを誇ることはできるかもしれません。でも、
日本人が藍色の細かい色の変化にすべて名前をつけて呼んだ
ような愛情を合成染料に対して持てるでしょうか?

柳は「阿波藍」についての文章をこう締めくくっています。
「嘘もののなかった時代や、本ものが安かった時代があった
ことは、我々に大きな問題を投げかけてきます。これに対し
どういう答えを準備したらよいでしょうか?」

これはまさにいま私たちが気付きはじめている現代の矛盾
です。庶民であっても本物の美しさを纏える社会を私たちは
作らねばならないと思います。

いつかこどもたちを連れ、友人と徳島県を訪ねてみたいです。

2014年4月3日木曜日

手仕事の日本めぐり:群馬


いよいよ関東地方も残すところ2県となりました。

今日は群馬県に足をのばそうと思います。

「手仕事の日本」によれば、一番興味のある古い町は群馬県の
山間部に位置する沼田。鉄道が敷かれるのが遅かったせいか
色々な品が残っていたそうです。
中でも山刀(鉈)の類はいまでも昔ながらのものが作られています。
また、野鍛冶の技で作られた金物の類も多くあったそうです。

今でもたくさんの職人さんたちが作り続けているのが豊岡の達磨。
日本で作られる達磨の多くが高崎近辺のものだそうです。

達磨の歴史は200年ほど前にさかのぼり、主に達磨寺門前の豊岡、
八幡周辺の養蚕農家で冬期の家内職によって作られていたそうです。

群馬県達磨製造協同組合ホームページより

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眉毛は鶴、鼻から口ヒゲは亀
縁起の良い二つの動物をお顔に表現した高崎だるま。
別名「福だるま」「縁起だるま」とも呼ばれています。

上州(群馬県)は昔から、養蚕が盛んな地域。 蚕は繭を作るまでに
4回脱皮しますが、蚕が古い殻を割って出てくることを「起きる」
といいます。 その言葉にかけて、養蚕農家では七転び八起きのだるまを
大切な守り神として、奉り続けてきたのです。

また、上州は昔から、だるまづくりにとても適した土地と言われてきました。
紙を張る、色を塗る・・・ そんな一つひとつの行程の中で、上州名物
からっ風と乾いた空気が、大きな威力を発揮するのです。
まさに、高崎だるまは、職人の技と上州の風土が生み出した
芸術作品といえるでしょう。

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まだまだ日本のことでも知らないことが沢山あります。
風土が生み出した、というのが手仕事の特徴。
自然に従って生きる人が生み出した、美しい伝統の技です。

それでは手仕事の宝庫栃木に向かいたいと思います。