2014年4月4日金曜日

Japan Blue




手仕事に興味を持って以来、我が家の生活空間や私の
クローゼットには「藍色」のものが増えました。

Japan Blueというとサッカーのユニフォームを思い
浮かべる方が多いかもしれませんが、藍もJapan Blue
と呼ばれるそうです。

その生みの親は、明治初頭に来日したイギリス人化学者
アトキンソン。彼が町中にあふれる藍色を見てJapan Blue
と呼んで称賛したことに由来するそうです。
藍はそれほど庶民の日常に浸透していたのです。

日本人が大切に、大切にしてきた藍。
今では「民藝品店に置いてあるもの」という認識になって
しまいつつあります。でも藍の伝統を守ろうと仕事を
続けている人たちもいます。

藍の存在が今まで以上に気になりはじめたのは、友人から
徳島県に行って藍染めを経験してきた話を聞いたからです。
徳島藩は桃山時代に増産事業として藍の生産を保護、奨励
しました。
友人から藍の話を聞いた後、「手仕事の日本」を読んで
日本人が抱いてきた藍への愛情を深く感じたのです。

「手仕事の日本」より抜粋-----------
阿波には色々のものを数え得るでありましょうが、この国が
天下にその名を成したのは何よりもまず「藍」のためで
あります。「阿波藍」といって、日本全土に行き渡り、
おそらく紺屋という紺屋、皆多かれ少なかれここの藍を
用いました。
・・・途中省略・・・
何といっても「阿波藍」は藍の王様でありました。
色が美しく、擦れに強く、香りが良く、洗いに堪え、
古くなればなるほど色に味わいが加わります。こんな
優れた染料が他にないことは誰も経験するところで
ありました。
・・・途中省略・・・
しかし時は流れました。明治の半頃までさしも繁昌を
極めた「阿波藍」にも大きな敵が現れました。
染めやすい人造藍を考え出しこれを安く売り捌きました。
・・・途中省略・・・
これは時勢といえばそれまででありますが日本人は
人造藍で便利さを買って、美しさを売ってしまいました。
抜粋ここまで-----------

藍ほどに丈夫ではなく、洗えば色褪せてしまう合成染料。
柳氏のいうように、明治以降の日本人は歴史の中で
「便利さを買って美しさを売って」きたように思います。
これは未来のこどもたちに誇ることができるでしょうか?

確かに便利さを誇ることはできるかもしれません。でも、
日本人が藍色の細かい色の変化にすべて名前をつけて呼んだ
ような愛情を合成染料に対して持てるでしょうか?

柳は「阿波藍」についての文章をこう締めくくっています。
「嘘もののなかった時代や、本ものが安かった時代があった
ことは、我々に大きな問題を投げかけてきます。これに対し
どういう答えを準備したらよいでしょうか?」

これはまさにいま私たちが気付きはじめている現代の矛盾
です。庶民であっても本物の美しさを纏える社会を私たちは
作らねばならないと思います。

いつかこどもたちを連れ、友人と徳島県を訪ねてみたいです。

0 件のコメント:

コメントを投稿