2014年8月29日金曜日

あと2ヶ月





前回の検診では1500-1600gになっていた赤ちゃん。
娘の夜泣きが大変でも、赤ちゃんがお腹のなかで
一生懸命生きている姿を見ると勇気が出ます。

息子も娘も、こうやってお腹のなかでぎゅうっと
丸まっていたのに、今では元気に走っているのが
奇跡のように思えます。

いつ消えるともわからない命。
もし死ぬときに幸せを感じられるとしたら、それは
どのくらい多く成し遂げたかや手に入れたか、ではなく
どのくらい無償の愛を与えられたか、なのでは?と
最近思うようになりました。

あと2ヶ月で出会えるこの子にも、今一緒にいる
こども2人にも、いつ死んでも後悔しないように
いっぱい愛情を注いでいこうと思います。

今日からしばらくPCを修理に出すので、ブログの更新が
ますます滞ってしまいそうです。
携帯もスマホじゃないのでほとんど何も見られなくなります。
それはそれで読書に耽る楽しい日々になりそう。

では皆さんもよい秋の日々をお過ごしください。

2014年8月23日土曜日

勉強会@もやい工藝




島根県 石見焼 宮内窯のすり鉢


今日は1週間外出できなかった鬱憤を晴らすべく(?)、
もやい工藝での学習会に参加して来ました。

テーマは石見焼。
かつて石見地方の海岸線には多くの窯が並んでいたそうです。
なかでも来待(くるまち)釉の釉薬瓦で知られる石州瓦専門の
窯や、粗陶器である半洞(はんどう)甕/大きな容器を作る窯が
多くあったそうで、窯の様子や製作方法などを映像とともに
見せていただきました。

この地域で採れる陶土は酸にも塩にも強く、梅干しなどを
入れるための容器として最も適していました。また、土は
焼き締まると磁化して割れにくくなる特質があったため、
一時期は日本中にこの壷・甕類が出荷されたそうです。

しかし時代とともに大きな壷や甕の需要は低くなり、
大物づくりから転化できなかったいくつかの窯は廃業して
しまったそうです。伝統を守りながらも時代の変化と需要に
うまく対応することが手仕事に必要不可欠であると再認識
しました。

相変わらず次から次へと言葉が溢れ出てくる久野さんのお話で
印象に残ったのは、小鹿田焼が薄焼きであるのに対して、
石見焼が厚焼きである理由についてです。
小鹿田は山深いところに位置しているため、運ぶのに馬を
使うため軽くする必要があり薄くなったとのこと。それに対し
石見はすぐ近くから船で運ぶことができたために重いまま発展
したそうです。

その地域で採れる土の特徴。
その地域の原料で作られる釉薬の特徴。
その地域の人々の暮らし方。
その地域の歴史、風土、交通の便。

南北に延び、風土と文化において他の国にはない多様性をもつ
日本だからこそ、こんなにも多くの手仕事が発展したことを
改めて感じさせてくれる勉強会でした。

2014年8月22日金曜日

夜泣きと水疱瘡その3




2年前の8月、元気に産まれてくれた娘。


夜泣きでつらい思いをしたときは、産まれた時の
写真を見たり、寝ている我が子の心臓の音を聴いたり
すると心が落ち着きます。

助産院の暗い部屋で産まれ、すぐ母親に抱かれる
赤ちゃんはあまり泣かないというけれど、本当かな。

我が子は病院で産まれたので大きな声で泣いていました。
いままであたたかいお腹の中で、お母さんと一心同体
だったのにいきなり離されちゃったら泣くのも当然です。

きっとびっくりして、不安で、混乱しているのだろうな。

夜泣きもきっと、新たな「誕生のとき」なのかもしれない。

あたらしい環境で、あたらしい能力を身につけて、どんどん
成長していく頭の中。
お母さんから離れて遊べるようになった自分。

でも寝ているときには赤ちゃんにもどっていて、ふと起きた瞬間
真っ暗闇の中で一人で眠っている・・・

その恐怖と不安が夜泣きなんじゃないか、と思います。

しっかりと大地に足をつけてたくましく育っている長男5歳。
言葉を身につけはじめ、ふたたび新しい世界に産まれようと
している長女。
2ヶ月後にはじめて外の世界に産まれてくる次女。

長男のときは初めてのことだらけで少し神経質になってしまった私。
長女の時は次男の死を経験していたので、心配しすぎだった私。
今度産まれる赤ちゃんは、ゆったりと、おおらかな気持ちで育てたい。

3人それぞれを、あたたかい心でぎゅうっと抱きしめられるように。
母はまだまだ修行が必要です。

夜泣きと水疱瘡その2




子どもがいなかった頃は、毎週末海に行っていたこの時期・・・


なんともタイミングの悪いことに、先週末から
娘の夜泣きと水疱瘡と夫の出張が重なりました。

ひとりで乗り切れる自信がなかったので、実家から
母に来てもらいました。とはいえ、母も病気で娘を
抱っこしたり息子の保育園への送迎はできないため
基本的に炊事のみ手伝ってもらいました。

今後我が子の水疱瘡を体験するお母さんも多いと
思うので、だいたいの経過を記録。

1日目
顔と背中に赤い発疹
発熱38.5℃
日曜だったので救急を受診
塗り薬(フェノール・亜鉛華リニメント)処方
機嫌よく食欲もあり
夜は2回ほど起きる

2日目
全身に赤い発疹どんどん増え続ける 水疱もちらほら
痒みで一日中不機嫌
ひたすら抱っこでほとんど地に足をつけなかった
昼間は30分以上寝ない
熱が下がらず、解熱剤を一回飲んだもののすぐに
熱が上がってしまった
夜は3~4回起きる

3日目
発疹が少し大きくなって瘡蓋状態のものも増えた
痛い、抱っこの繰り返し
熱はまだ下がらず
夜泣きのような叫びで2〜3回起きる

4日目
発疹は増えなくなり瘡蓋が増えてきた
いくつか掻き壊して水っぽくなった
熱がやっと下がってきて機嫌が少し良くなった
夜はまだ2〜3回起きる

5日目
ほとんど瘡蓋になってきた
抱っこしない時間が増えてきた
夜は2〜3回起きる

6日目
金曜日ふたたび受診。
まだまだ顔や背中は瘡蓋だらけ。
月曜日には登園可能とのこと。
昼間は添い寝で長く寝てくれた。
ついに夫が帰宅。ずっと抱っこしてくれる。
夜も添い寝してくれているせいか、20:30に就寝、
現在23:00まで夜泣きなし。

病気なのに、昼寝もほとんどせず夜泣きする我が子。
その体力に驚きました。
今回一番つらかったのは、クーラーのない我が家で
40℃近い熱を出した娘を夜中までひたすら抱っこしたこと。

長男が産まれてから5年半、朝まで連続して寝られたことは
ありませんが、それでも幸せな子育て。
さすがにこの1週間は出張中の夫に愚痴のメールを送りました。
夫も好きで家から離れたわけではないのに、帰宅後は全面的に私を
サポートするという旨の返事をくれたことで救われました。

この1週間は娘の夜泣きに何度か涙を流しましたが、それでも
やっぱり乗り越えていっちゃうのが、毎回不思議です。
その3につづく。

夜泣きと水疱瘡その1





息子が書いた「たたかう人」。
この1週間、もし心がそのまま見た目に表れるとしたら
私はこんな感じだったと思います。

久々に子育て記事です。

今月からふたたび夜泣きが始まった2歳の娘。

ネットで調べると、お子さんの病気や夜泣きで悩む
お母さんがとっても多いことがわかります。

とくに夜泣きは、いつ終わるとも知れない長いたたかい。
少しでも同じ思いを抱えている人と気持ちをシェア
したくなります。

娘は3ヶ月くらいまでよく寝たのですが、その後は2時間
おきに起きていました。現在5歳になる息子のときも
卒乳まではそうだったので「卒乳すれば寝るだろう」と
思っていましたが・・・

娘は1歳の卒乳のときに狂ったように泣きじゃくり、長男とは
だいぶ性格が違うかも??と気付きました。

卒乳から少したつと、だんだんぐっすり眠るようになってくれた
娘でしたが、2歳になり保育園であまり泣かなくなった途端
家での夜泣きがはじまりました。

12時前くらいに突然泣き出し、「ぎゃあああっ!」と叫び
続けること30分〜1時間。何をしても泣き止みません。
その後ようやく落ち着かせて、同じくらい時間をかけて抱っこで
寝かせます。

そしてまた明け方5時頃に叫び声。
妊娠8ヶ月の重いお腹の上にのせてひたすら抱っこ。

人間を深い眠りから無理矢理起こすという実験をひたすら
繰り返すと発狂する、という話を聞いたことがありますが
夜泣きに付き合う母親もまさにそんな心境だと思います。

昼間は本当に本当にかわいいと思える我が子。
それなのに、夜中叫び続ける娘に付き合っていると、ときどき
「自分はこのままだと虐待してしまうのではないか?」と
思うほど重たいドロドロとした気持ちになります。

よく虐待のニュースを見て「信じられない、かわいそう。」
というコメントを見かけますが、夜泣きを経験してから
他人事とは思えなくなりました。
救ってあげなければならないのは、子どもではなく母親なんだ
と思うようになりました。

昼間は家事や仕事を頑張って、夜は眠らず我が子の夜泣きに
付き合っているのに穏やかな気持ちでいられるほうが不思議
だと思います。

それでも「望んで産んだ子だから」と母親は責任を背負い、
子どもにあたってしまう自分を責めがちです。
それを救ってあげられるのは周囲の人たちしかいません。

私には幸い、夜中寝かしつけを代わってくれる夫と、
やさしい労いの言葉をかけてくれる友人がいたおかげで
平和な気持ちを取り戻すことが出来ました。

核家族がすすむ現代では、そんな風に何人かの人たちで
母親を支えていかなければ、虐待や子どもが育ってから起きる
問題・・・自殺、鬱病、虐待の連鎖など・・・が増えてしまう
のではないかと思います。

「夜泣きは必ず終わるものだから、頑張れ!」という言葉も
ネット上で多く見られますが、むしろ頑張らずに思いを共有
できる場を作らなければならないと感じています。

その2に続く。

2014年8月13日水曜日

工藝


もやい工藝オーナーであり、手仕事フォーラム代表の
久野恵一さんにお願いして、貴重な本をお借りしました。




出版当時の「工藝」です。

昭和17年に発行されたもので、当時の定価は参圓五十銭。
挿し絵は芹沢けい介、装幀は鈴木繁男、文章は柳宗悦という
まさに民藝運動の中心人物たち。




この回は染色特集。




なんと布の色見本写真をそのまま糊で貼ってあります。
よく一千部も作ったものです。これだけで立派な手仕事…

紹介されている東北の民藝品がまた素晴らしいので、いくつかご紹介します。




山形周辺で作られていた尾花帽子。
激しい風雨を守るためのもの。
この装飾のセンスには目を見張る物があります。




東北の雪下駄と藁靴。

今は作られていないものも多くなってしまいましたが、存在していた
事実だけでも伝えられる貴重な資料です。

巻頭の民藝について語られた文章が素晴らしいので一部抜粋します。

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民藝品とは民衆が不断の生活に用いる実用品との義で、何も趣味的なもの
でもなく、又珍奇な骨董品を意味するものでもありません。
民藝を鑑賞品と間違える人がありますが、そういうものとは性質が
違うのです。一番当たり前な誰でも知っている品なのです。
(途中省略)
祖先を崇めることは、東洋の徳であるとよくいわれますが、一つの
品の中にも祖先の息は通っているのです。
新しさを追う時代は、過去の歴史をとかく古くさいものとして見捨て
がちですが、伝統は捨つ可きものでなく、それを活かしてこそ未来が
健全に又確実に育つのだといわねばなりません。

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静かな情熱の塊のような冊子。
先祖に感謝する時間でもあるお盆に、このような文章に出会えて
幸せです。
文章のコピーをとったので、読みたい方は声をおかけください。

2014年8月10日日曜日

松本民芸家具のこと





池田三四郎さんの著書、「松本民芸家具への道」を読みました。

「もやい工藝」で長年使われてきた松本民芸家具の椅子を
目にして以来、そして松本民芸家具カタログの巻末にある
池田三四郎さんの文章を読んで以来、我が家でも松本民芸の家具を
少しずつ集めはじめました。
中古で手に入れたものもあれば、新しく注文して作って
いただいたものもあります。

出来上がった家具のイメージからほど遠く、創始者である
池田三四郎さんの人生は壮絶なものであったと知りました。

でも、だからこそものすごい信念と情熱をもって家具作りの
プロデューサーとなることができたのだと分かり、ますます
家にある家具に愛着を持つことができました。

ぜひ若い世代の方たちにも読んでほしい一冊です。

そんな三四郎さんの熱い思いが込められたカタログの文章を
一部抜粋してご紹介。

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本当の家具作りには、どうしても手工芸を無視できない面があります。
というのは家具は一般の工業製品のように、ただの消耗品として
作られるには、あまりにも人間生活と密着しているものだからで
あります。長い年月の間、日常生活の友として、使えば使うほど、
自分と離れがたい関係を感じさせるものは家具であり、その間に
醸される人間性に手工芸が一番深いものを生じさせるからであります。
・・・
また外国では古くから家具は大切な財産の一部として、子孫に伝えられる
習慣があり、これは今でも残っていて、家を建てることと同じく
生涯の伴侶としての家具の選び方は慎重であります。

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今住んでいる家を建ててもらった天然住宅の理念と通じるものがあります。
こどもたちにたくさんのお金を残すことはできそうにありませんが、
この家と、家具には私たちの思い出と生き方が込められています。
それが少しでもこどもたちの役に立てばいい、と思います。

でもそれより何より、職人さんたちの手で作られた美しい家と家具に
囲まれて日々を暮らすことは、何よりも楽しく、毎日に潤いを与えて
くれるのです。