
「型にはまる」
とは、悪い意味で使う言葉のようです。
決まりきった形式や方法どおりのもので、個性や独創性がない。
でもこの頃私の中で「型にはまる」ことも結構重要なことなのでは?
という新しい認識が芽生えています。
狂言師の野村萬斎さんを特集していた番組のなかで、野村さんが
伝統の型を体に覚えさせるという、何十年も続けた日々の稽古について
最初は「なぜこんなことをしなければならないのか?」という疑問
ばかり抱いていたけれど、「型を習得することで自由を得ることが
出来た」というようなことを語っていました。
それを聞いて私は柳宗悦の言葉を思い出しました。
民藝のものはなぜ美しいか?
守らなければいけない伝統があり、
その地域特有の風土による制約がある。
そこに不自由があるから美しさは保たれるのだ、と。
歌舞伎などに比べて装飾や小道具がとても少ない狂言では
長い時を超えて受け継がれた「型」で多くの物事を表現している
そうです。
不自由のなかで型をひたすら習得することで、その型を
自在に使えるようになる、という自由。
型にはまり、型を守り、型を使いこなすこと。
私にはそのような技もなく、ひたすら続けてきたことも
ありませんが、何事にも同じようなことが言えるかも
しれません。
仕事も子育ても家事も。
「毎日同じことの繰り返し」と思っていることでも意識の
持ちようで辿り着く場所は変わると思います。
終わりの見えない不自由のなかで努力し続けるからこそ
いつか得られる自由がきっとあるはずです。
このごろ子どもたちが寝たあと、民藝に関する文章を
ひたすら翻訳しています。日本語でも分からないことが
いっぱいある民藝の世界。
今は子育てにかかりっきりで、日本全国の美しい手仕事を
見て回ることは残念ながら出来ない日々。
でも、だからこそ出来ることもある。
若い頃はパンクを聴き(笑)、世の中に抵抗し、型に
はまらないことばかりを考えていましたが、不思議なもので
この歳になったら抵抗するより認めることのできる人に
なりたいと思い、確かで型のある物事に惹かれはじめている・・・
型、簡素さ、伝統、民藝。
若さ、反逆、年齢、寛容。
まだ頭の中ですっきりとつながっていないキーワードたち。
すべてを受け入れたいと思っているわけではない自分。
なぜここに辿り着いたのか?
いま自分はどうありたいのか?
今年はじっくり向き合ってみようと思います。
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